冠婚葬祭史にとって、アジア太平洋戦争はどんな意味を持ったのだろう。もちろん文化破壊という側面は大きい。なにはともあれ積み上げてきた明治以来の冠婚葬祭文化を、戦争は遂行不可能にした。国家総動員法(一九三八年)が施行されたころから、婦人雑誌にも華美な冠婚葬祭の習慣をいさめる記事が載るようになる。精動〔引用者注……国民精神総動員運動本部〕では、神前結婚の最高挙式料を二十円と定め、笙、ひちりきも廃しました。挙式の場所は家庭または神社、仏閣、学校、役場、公会堂、教会などの神聖な場所ならいづれでもよろしいですが、どこまでも質素厳粛といふ趣旨を忘れず、費用もできるだけ低額で済むやうに努力すべきであります。(『主婦之友』一九四〇年一一月号)都会なら葬列に幾台も自動車を連ね、地方では多数行列して歩く風習がありますが、これは近親者に限るべきです。また告別式の際に多数の人が列ぶことも一種の虚栄で、徒らに多勢の人の時間を空費することですから、避けねばなりません。(同前)けれども、冠婚葬祭史にとってより重要なのは、儀式の簡素化どころか儀式そのものが成り立たない状況が、国家によってもたらされたことだろう。
本来、弔問とは、通夜にも葬儀・告別式にもすべて出席することをいう。全部出席するなら通夜は黒っぽい服の略式でもよく、葬儀・告別式できちんとした喪服を着ればいい。ところが最近は、通夜か葬儀・告別式のどちらか一方にだけ伺えばいいという傾向になってきている。となると、通夜にだけ参列するといっても、喪服を着用したほうが、弔意を表すのにふさわしいことになる。ただ、そうはいっても、葬儀・告別式と違い、通夜の服装はさほど神経質になる必要はない。周囲とのバランスを考え、どこか一か所でも、正式な喪服を崩して着用しておけばいい。たとえば、地味なスーツにネクタイだけ黒にするとか、黒ではないダークスーツにしておく。女性なら黒いワンピースでもストッキングを肌色にする、和服なら地味めの色無地の紋付きに帯とバッグ・草履だけ黒といった装いである。
「目は口ほどにものを言う」という言葉のとおり、人は想像以上に話す相手の目を見ているもの。話をしながらあちこちに目線が泳いだり、自分の目以外のところを見ていたりすると、不快感を与えてしまうこともある。しかし相手の目をすっと見据えるのもちょっとコワい。ちょうどいい視線の範囲は、両目のあたりから鼻を中心とした広めの逆三角形。このゾーン全体をじっと見よう。接客マナーの研修でよく話すのが、「3つの「あ」を大切に」ということ。この3つは「あいさつ」「明るさ」「アイコンタクト」だ。適切なテンションであいさつすること、明るくきびきびと動くこと、そして「少々お待ちください」「ごゆっくり」などを声に出さなくても目で伝えること。相手に好印象を与える3つの基本は、ビジネスシーンにも応用可能な心がけだ。